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当館所蔵「原民喜資料」について

2.身辺資料

 資料の中には、民喜の日常生活を伝える身辺資料も含まれています。

(1)資料番号971 木箱
   
資料番号971 木箱
資料番号971 木箱
縦40cm、横70cm、高さ10cmほどのこの木箱については、民喜自身が「吾亦紅」(「高原」昭和22年3月)の一篇「机」に詳しく書いています。もとは妻貞恵が嫁入り道具の一つとして持ってきたもので、貞恵の死後は疎開させていたために戦火を逃れることができました。戦後は民喜の机として、避難していた八幡村で、また上京後も大切に使用していたものです。薄い板で作られており、見た目よりも軽く感じるこの木箱には蓋に墨跡や小さな傷が残されており、使い込まれた印象を与える一方、割れた個所が反古紙で丁寧に補修されており、持ち主の愛着を感じさせます。

原民喜著「机」を読む

(2)資料番号979 罹災証明書
   
 昭和20年8月8日に東警察署によって発行されたこの罹災証明書もまた、民喜の作品に登場しています。昭和25年8月に発表されたエッセイ「一匹の馬」には、被爆の二日後、「昼ごろ罹災証明がもらえることになったので、私はまた饒津の方へ向う道路を歩いて行った、道ばたの焼残った樹木の幹を背に、東警察署の巡査が一人、小さな机をかまえていた」と民喜が罹災証明を受け取りに行った様子が書かれています。翌9日、民喜は兄一家とともに八幡村へと避難しますが、証明書裏面にも9日から米の配給が開始されたことなどが八幡村役場によって記入されています。






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