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きょうどの作家

あがわ ひろゆき
阿川 弘之

1920年(大正9年)、広島市白島九軒町に生まれる。東京帝国大学文学部国文学科卒業。主に成人向けの本を執筆するが、他方では、創作児童文学、絵本の翻訳などを手掛ける。1960年(昭和35年)、『なかよし特急』で第7回産経児童出版文化賞受賞。1999年(平成11年)、文化勲章受賞。2015年(平成27年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『ちいさなきかんしゃ』(文化出版局)

いぶせ ますじ
井伏 鱒二

1898年(明治31年)、広島県深安郡加茂村(現・福山市)に生まれる。本名:井伏 満寿二。早稲田大学中退。翻訳の手伝いや、出版社に勤務しながら同人誌に作品を発表。『山椒魚』『黒い雨』『ジョン万次郎漂流記』等の文学作品が多いが、一方で児童書の創作・翻訳活動も行う。1966年(昭和41年)、文化勲章受章。1993年(平成5年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)

おおの みつこ
大野 允子

1931年(昭和6年)、広島県加計町に生まれる。広島大学文学部卒業。1945年(昭和20年)、広島県立第一高等女学校の2年生のとき、原爆にあう。10年間高校の国語教師をつとめるかたわら、広島の同人誌「子どもの家」に創作を発表し、1963年(昭和38年)、同人誌の童話集『つるのとぶ日』を出版。以来、ヒロシマを題材に作品を書き続ける。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『ヒロシマ、遺された九冊の日記帳』(ポプラ社)

かい のぶえ
甲斐 信枝

1930年(昭和5年)、広島県に生まれる。故 清水良雄氏(光風会会員、童話雑誌「赤い鳥」の画家)に師事。主に科学絵本を描き、『雑草のくらし』で第8回絵本にっぽん賞、第17回講談社出版文化賞絵本賞受賞。このほかに、『たんぽぽ』『たねがとぶ』『ちょうちょはやくこないかな』などの作品がある。

【参考文献】
「ちいさなかがくのとも」2007年5月号折り込みふろく「絵本のたのしみ」(福音館書店)、『たんぽぽ』(福音館書店)

かきもと こうぞう
柿本 幸造

1915年(大正4年)、広島県に生まれる。主として幼児絵雑誌の分野で仕事をした後、1945年(昭和20年)ごろより、絵本を描き始める。1959年(昭和34年)、第8回小学館絵画賞受賞。主な作品に、「どんくまさん」シリーズなどがある。1998年(平成10年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『ろばさんのかわいいバッグ』(チャイルド本社)

くつき しょう
朽木 祥

1957年(昭和32年)、広島市に生まれる。被爆二世。上智大学大学院博士前期課程修了。首都圏の大学で教えながら、2002年(平成14年)より児童文学の創作をはじめる。デビュー作『かはたれ』で第35回児童文芸新人賞、第39回日本児童文学者協会新人賞ほか受賞。このほか、『彼岸花はきつねのかんざし』『風の靴』『光のうつしえ』『あひるの手紙』などでも賞を受賞している。

【参考文献】
『引き出しの中の家』(ポプラ社)、『光のうつしえ』(講談社)、『花びら姫とねこ魔女』(小学館) 等

くらはし ようこ
倉橋 燿子

広島県に生まれる。本名:倉橋 洋子。上智大学文学部卒業。大学卒業後、出版社に勤務し女性誌の編集者となる。その後、ライター、コマーシャルのコピーライターを経て執筆活動に専念する。まんがの原作も手がける。主な作品に、『いちご』(全5巻)、『パセリ伝説』(全12巻)などがある。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)

こだま たつはる
児玉 辰春

1928年(昭和3年)、広島県大竹市に生まれる。神奈川大学工学部卒業。大学に通いながら、横浜で4年間教師を務める。その後、広島で中学校の数学教師となる。1988年(昭和63年)、広島市立三和中学校を定年退職後、創作活動に入る。また、広島映画社を設立し、文化活動も行う。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)

さこ ももみ
佐古 百美

1961年(昭和36年)、東京都に生まれる。東京学芸大学美術教育学科卒業。私立小学校の教員を2年間務めた後、イラストレーター、絵本作家になる。絵本、書籍、雑誌等で幅広く活動している。広島市在住。

【参考文献】
『ペコルちゃんのおでかけスイッチ』(くもん出版)、『かたっぽさんどこですか?』(アリス館)

さらがい たつや
皿海 達哉

1942年(昭和17年)、大阪市に生まれる。東京学芸大学乙類国語科卒業。1973年(昭和48年)、在学中に書いた『にせまつり』『少年のしるし』を出版。高校教師のかたわら、作家としてスタートする。『チッチゼミ鳴く木の下で』で第15回野間児童文芸推奨作品賞受賞。『坂をのぼれば』で、第1回旺文社児童文学賞ほか受賞。『海のメダカ』で第28回日本児童文学者協会賞を受賞。ふくやま文学館の館長もつとめた。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『読書リレー2 5~6年生』(星の環会)

しこく ごろう
四国 五郎

1924年(大正13年)、広島県に生まれる。19歳の時に徴兵され、戦地にあるとき母と弟が被爆。原爆や戦争を、生き残った立場から見すえ、悲しみと怒りをこめた詩・画を一貫して発表してきた。日本美術会、美術家平和会議、詩人会議等に所属し、広島美術協会事務局長もつとめた。2014年(平成26年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・上巻(あ~さ行)―』(出版文化研究会)、『絵本 おこりじぞう』(金の星社)、『ヒロくんとエンコウさん』(汐文社)

すずき みえきち
鈴木 三重吉

1882年(明治15年)、広島市猿楽町(現・紙屋町)に生まれる。夏目漱石に師事。1918年(大正7年)、雑誌「赤い鳥」を創刊し、以降に活躍する多くの児童文学者を育てた。また、『世界童話集』『日本児童文庫』『小学館全集』の編集も手がけた。1936年(昭和11年)死去。広島市では、広島市立中央図書館広島文学資料室において、三重吉に関する資料を収集している。

【参考文献】
『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『古事記物語』(原書房)

だいどう あや
大道 あや

1909年(明治42年)、広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区)に生まれる。本名:大道 アヤコ。旧制私立安田高等女学校卒業。60歳より絵を描き始め、女流展、日本美術院展に入選を重ねる。『ねこのごんごん』で絵本を初めて描き、『こえどまつり』で世界絵本原画展優良賞を受賞した。画家の丸木位里の実妹。2010年(平成22年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『ヒロシマに原爆がおとされたとき』(ポプラ社)

たかだ けいこ
高田 桂子

1945年(昭和20年)、広島県に生まれる。本名:小谷 桂子。京都大学文学部フランス文学科卒業。出版社勤務ののち、コピーライターを経て、児童文学の創作を始める。主な作品に、『ざわめきやまない』(第12回山本有三記念路傍の石文学賞)、『ふりむいた友だち』『雨のせいかもしれない』(共に産経児童出版文化賞推薦)などがある。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『ひあたり山とひつじのヒロシ』(国土社)

たけだ まゆみ
竹田 まゆみ

1933年(昭和8年)、広島市に生まれる。本名:竹田 真瑜美。広島女子短期大学国文科卒業。中学校の教職を経て、自宅で書道教授の仕事をするかたわら、1969年(昭和44年)より児童文学の創作を始める。1971年(昭和46年)、『あしたへげんまん』でデビュー。のち実弟の那須正幹と同人誌 「きょうだい」を創刊する。小学生のとき広島市内から世羅に疎開し、被爆を逃れた経験から、「ヒロシマ」を題材にした作品が多い。2002年死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)

なかざわ しょうこ
中澤 晶子

1953年(昭和28年)、名古屋市に生まれる。本名:中川 緑。同志社大学文学部卒業。書籍の編集を経て、コピーライターとして活躍するかたわら児童書を書き続ける。『ジグソーステーション』で第29回野間児童文芸新人賞受賞。広島市在住。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『あしたは晴れた空の下で』(汐文社)

なす まさもと
那須 正幹

1942年(昭和17年)、広島市に生まれる。島根農科大学林学科(現・島根大学)卒業。自動車販売会社勤務、実家の書道塾の手伝いなどを経て、実姉・竹田まゆみの影響で創作活動を始める。のちに姉と同人誌「きょうだい」を創刊。また、河村たかしらと児童文学創作集団を結成し、「亜空間」を発行。1978年(昭和53年)発表の『それいけズッコケ三人組』をはじめとする「ズッコケ三人組」シリーズ(第23回巌谷小波文芸賞)のほか、多くの作品を生み出している。日本児童文学者協会賞ほか受賞歴多数。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『ズッコケ中年三人組age49』(ポプラ社)

はら みちを
はら みちを

1928年(昭和3年)、兵庫県神戸市に生まれる。本名:梶原 充雄。脳性小児麻痺による両手両脚麻痺のため、母に背負われて学校を卒業する。時計印判業から、40歳で創作活動に転ずる。以来、母・子・ふるさとをテーマに作品を発表。かたわら心身障害児を励ます会など福祉活動にも力を注ぐ。2006年(平成18年)、広島県三次市に「はらみちを美術館」が開館。広島市在住。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『お母さんのランドセル』(学習研究社)

まつだ もとこ
松田 素子

1948年(昭和23年)、広島県に生まれる。広島女子大学卒業。歯科医院の待合室に「まつたけ文庫」を開設。主な作品に、「いればのパッコン」シリーズや、『おばあちゃんがいるといいのにな』('95日本絵本賞)などがある。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『おばあちゃんはかぐやひめ』(ポプラ社)

まるき いり
丸木 位里

1901年(明治34年)、広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区)に生まれる。独学で日本画をつづける。1941年(昭和16年)に、洋画家の俊と結婚。1950年(昭和25年)以来、俊と「原爆の図」を作成する。1967年(昭和42年)、埼玉県東松山市に「原爆の図丸木美術館」を開館。絵を通じて原爆を語る原爆絵本を手掛けるほか、挿絵・絵画など、幅広く活躍した。大道あやの実兄。1995年(平成7年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『原爆の図 新版』(原爆の図丸木美術館)、『おきなわ 島のこえ(英語版)』(アールアイシー出版)

もうり まさみち
毛利 まさみち

1946年(昭和21年)、熊本県に生まれる。本名:毛利 昌道。滝平二郎の切り絵にあこがれ、その手法を独習する。絵本・児童文学創作のほか、切り絵デザインなども手掛けている。『ももの里』で第11回日本の絵本賞新人賞(佳作)受賞。広島市在住。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『青い空がつながった』(新日本出版社)

やつか すみこ
八束 澄子

1950年(昭和25年)、広島県因島市に生まれる。平安女学院短期大学英文科卒業。『青春航路ふぇにっくす丸』で第34回日本児童文学者協会賞、『わたしの、好きな人』で第44回野間児童文芸賞受賞。「季節風」「松ぼっくり」同人。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『いのちのパレード』(講談社)

やまぐち ゆうこ
山口 勇子

1916年(大正5年)、広島市に生まれる。広島女学院専門学校中退。原爆孤児の救援活動に参加したことから、“戦争と人間”をテーマとした創作をはじめ、広島の同人誌「子どもの家」に参加。『荒れ地野ばら』で第14回多喜二・百合子賞受賞。元・原水爆禁止日本協議会代表理事。2000年(平成12年)死去。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)

やました はるお
山下 明生

1937年(昭和12年)、東京に生まれる。幼少期を瀬戸内海の能美島で過ごす。京都大学文学部仏文科卒業。編集者を経て、1970年(昭和45年)にデビュー作『かいぞくオネション』を発表。以後、幼年童話から長編作品、絵本の翻訳など幅広く活躍している。『カモメの家』で第32回日本児童文学者協会賞、第30回野間児童文芸賞ほか受賞。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『ジャカスカ号で地中海へ』(理論社)

よしもと なおしろう
吉本 直志郎

1943年(昭和18年)、福岡県に生まれる。本名:吉本 直志朗。満1歳から広島に在住。広島県立国泰寺高等学校卒業。数多くの職歴を経て、1978年(昭和53年)、「広島戦災児育成所」を舞台とした作品『青葉学園物語』(第12回日本児童文学者協会新人賞)でデビューした。物語のほか伝記なども手掛ける。

【参考文献】
『児童文学者人名事典 ―日本人編・下巻(た~わ行)―』(出版文化研究会)、『作家・小説家人名事典』(日外アソシエーツ)、『リトルボーイ』(ポプラ社)