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浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」
(後期)第2回「広島藩の殖産興業政策」を開催しました

カテゴリー:中央図書館
記事分類:お知らせ更新日:2018年1月28日

浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」(後期)第2回「広島藩の殖産興業政策」が11月25日に開催されました。
その概要を簡単にご紹介したいと思います。

後期第2回 「広島藩の殖産興業政策」
講師:青山学院大学 落合 功 教授

歴史講座後期第2回_1歴史講座後期第2回_2

概要

今回の講座では、藩札を利用した新田開発や産業育成策など、近世後期の広島藩の殖産興業政策の仕組みやその思想について、お話をされました。

18世紀になると広島藩では新田開発とともに、殖産興業を推進した。とくに木綿、紙(楮)、塩、牡蠣などはその後の広島を代表する特産品になっている。しかし、今回の講座では江戸時代を通して広島藩にとって最大の特産物は米であったと述べている。広島藩の石高は42万5000石と言われる。これは検地=土地丈量により公定生産高を算出した結果を、広島藩の領地全体を示したものである。つまり、広島藩領内で年間42万5000石の米を生産したことになる。この石高は全国の藩でも10本の指に入る規模であった。

広島藩で生産された米は量ばかりではなく質も良く、天下の台所である大坂ではブランド米として流通した。市場では建物米(売買の基準になった銘柄)として換金率も高く、広島藩では、大量の広島米を大坂に出荷した。このため大坂の広島藩屋敷にはひときわ大きな蔵屋敷が設けられたのである。この頃の広島藩について、当時の経済評論家 海保青陵(1755-1817)が著した『経済話』では、広島藩は富国であると記され、『稽古談』によれば「米ニテ利ヲ得ントナラバ、芸州ノ津開ト云法ヨリヨキハナシ」と、湊を開放する津開が「富国」の理由であると紹介している。
 
広島藩の特産物は、大阪へ販売目的で移出された米、紙、鉄などが挙げられる。他に江戸の広島藩邸や広島城に送られた献上品として「塩鮎鰭」(しおあゆひれ)や「榛子」(はしばみ)「三原酒」「西条柿」「なるこ」などがあった(時期により送られないときもあった)。また、地元の名産品としては「銅中銅細工(銅蟲)」「鉄象眼細工」「海苔(仁保嶋)」「湯葉(高山)」「塩辛(尾道)」「籠細工(宮嶋)」などがあった。

広島藩では殖産事業を奨励するため藩札を発行し、資金として貸与した。木綿や紙などは専売制を実施し、製品を買い上げ、大阪に販売して利益を得るという国益政策を行うことで、広島藩経済を成長させ、国(藩)も民も利益を得るという考え方を推進したのである。

一方、このような国益政策の考えに対して、儒学者から孟子の言葉を引き合いに議論が起きている。実際の政策についても、頼杏坪が批判している。
 
このような藩札を発行し経済を活性化させる方法は、はじめは良いものの、藩札の回収が難しくなり、借金を増やしていく。結果として、貨幣価値の下落などによりハイパーインフレを招くこととなり、広島藩の金融経済を悪くすることになったのである。

参考資料