戦前のジャズ批評 |
野口 久光/著 |
12-17 |
アメリカ音楽研究 |
野口 久光/著 |
17-33 |
ルイ・アームストロング |
野口 久光/著 |
33-41 |
カウント・ベイシー |
野口 久光/著 |
41-47 |
モダン・ジャズ・クァルテット |
野口 久光/著 |
48-55 |
ビ・バップ |
油井 正一/著 |
56-61 |
レスター・ヤング |
油井 正一/著 |
61-67 |
デューク・エリントン |
油井 正一/著 |
67-90 |
チャーリー・パーカー |
油井 正一/著 |
90-111 |
マイルス・デヴィスを通してみる一九五〇~六〇年代のジャズ |
油井 正一/著 |
112-131 |
フリー・ジャズとポスト・フリー・ジャズ |
油井 正一/著 |
131-141 |
オーネット・コールマン |
油井 正一/著 |
141-163 |
ジョン・コルトレーン |
油井 正一/著 |
163-178 |
ジャズ・アヴァンギャルド |
植草 甚一/著 |
180-186 |
オーネット・コールマンはジャズのヌーヴェル・ヴァーグなのだ |
植草 甚一/著 |
186-195 |
黒人を排斥するアメリカのジャズ界 |
植草 甚一/著 |
195-202 |
ビル・エヴァンスとセシル・テイラーとの間にあるものを考えてみよう |
植草 甚一/著 |
202-212 |
ある黒人学生がブルースにふれて自分の気持をさらけだした |
植草 甚一/著 |
213-222 |
オーネット・コールマンのカムバックとジャズの「十月革命」をめぐって |
植草 甚一/著 |
223-232 |
エリック・ドルフィの死と「ジャズの十月革命」 |
植草 甚一/著 |
233-239 |
ESPグループの内部の声を聴いてみよう |
植草 甚一/著 |
239-249 |
コルトレーンの演奏をナマで聴いてみて |
植草 甚一/著 |
249-253 |
むかしむかしクリーヴランドのある町にアルバート・アイラーという少年がいた |
植草 甚一/著 |
253-261 |
ミルフォード・グレイヴスが語りかけるもの |
清水 俊彦/著 |
262-266 |
デレク・ベイリー |
清水 俊彦/著 |
266-269 |
AMMは音を媒介にして探究を行なう |
清水 俊彦/著 |
269-270 |
セシル・テイラーのスタイルの内的統一性について |
清水 俊彦/著 |
270-271 |
富樫雅彦と高柳昌行のフリー・インプロヴィゼーション |
清水 俊彦/著 |
272-273 |
黒人音楽が生きた実体であることをレスター・ボウイーは喚起する |
清水 俊彦/著 |
273-274 |
ジャズは伝統へスイング・バックする |
清水 俊彦/著 |
275-285 |
ジョン・ゾーン |
清水 俊彦/著 |
285-291 |
即興の哲学に向けて |
清水 俊彦/著 |
291-299 |
ジャズの長い暑い夏 |
相倉 久人/著 |
302-309 |
民族音楽としてのジャズ |
相倉 久人/著 |
309-315 |
リズムの祭儀性を超えて |
相倉 久人/著 |
316-318 |
ジャズの表現構造あるいは活性化理論 |
相倉 久人/著 |
318-328 |
ジャズ史のモデル |
相倉 久人/著 |
328-332 |
ジャズの聴衆 |
相倉 久人/著 |
332-335 |
黒人/劣等感/そしてジャズ |
相倉 久人/著 |
336-341 |
黒人ジャズとの連帯は可能か |
相倉 久人/著 |
341-354 |
ジャズ革命論序説 |
相倉 久人/著 |
355-365 |
ジャズに生きる若者たち |
相倉 久人/著 |
366-369 |
日本ジャズの問題 |
相倉 久人/著 |
369-379 |
ジャズ宣言 |
平岡 正明/著 |
380-390 |
腹ちがいの双生児 |
平岡 正明/著 |
390-394 |
コルトレーン・テーゼ |
平岡 正明/著 |
394-400 |
山下洋輔論 |
平岡 正明/著 |
401-405 |
あさひのようにさわやかに |
平岡 正明/著 |
405-421 |
六氏の肖像 |
岡崎 正通/著 |
422-428 |