序章 |
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第Ⅰ部 近代の子どもの文化と「児童文化」の誕生 |
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第一章 近世後期の子どもの文化 |
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一-一 『桑名日記』に見られる子どもの遊びとおもちゃ |
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一-二 鐐之助が楽しんだ読み物と「むかし」 |
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一-三 軍書講釈と語りの文化 |
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一-四 芝居、見世物 |
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一-五 源平時代の英雄と作り物 |
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一-六 鐐之助と手習い |
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一-七 手習い塾で出会う文化 |
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第二章 明治時代の子どもと文化 |
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二-一 講談文化とメンコ、カルタと売薬版画 |
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二-二 子どもと芝居 |
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二-三 谷崎潤一郎と芝居 |
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二-四 芝居とメディアミックス |
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二-五 寝物語と語り聞かせ |
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第三章 “教育化”される子どもの文化と教育博物館 |
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三-一 “教育読物”登場と“教育おもちゃ”の登場 |
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三-二 教育博物館と“教育化”される子どもの文化 |
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三-三 「教育家族」の増大と博文館の出版 |
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第四章 子ども用品の誕生と三越児童博覧会 |
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四-一 こども博覧会の開催 |
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四-二 子ども用品の誕生と三越児童博覧会 |
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四-三 三越児童博覧会と「児童本位」と「児童用品」の誕生 |
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第五章 大正時代の子どもの生活と文化環境 |
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五-一 大正時代の子どもと講談文化 |
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五-二 観劇と活動写真 |
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五-三 活動写真と旧劇 |
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五-四 新中間階級の家庭の生活と文化 |
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五-五 大正時代の子どもと雑誌の思い出 |
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第六章 『赤い鳥』の創刊と児童芸術運動 |
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六-一 巌谷小波の美育への着目と芸術の勃興 |
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六-二 モダニズム化と『赤い鳥』の創刊 |
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六-三 『赤い鳥』との出会い |
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六-四 児童芸術雑誌の地方への広がり |
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第七章 大正自由教育と文化主義 |
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七-一 大正自由教育の胎動-樋口勘次郎と児童中心主義 |
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七-二 児童芸術運動の胎動と文化主義-日本済美学校と美育 |
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七-三 「児童文化」誕生前夜の雑誌制作活動 |
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七-四 芸術自由教育の広がり |
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第八章 「児童文化」誕生前夜 |
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八-一 大阪で結成された児童文化関連団体と高尾亮雄 |
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八-二 児童文芸雑誌と童謡・童話の同人誌-『木馬』と蜻蛉の家を中心に |
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第九章 「児童文化」の誕生 |
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九-一 後藤牧星の幼少年期と青年前期 |
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九-二 少国民新聞と後藤牧星 |
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九-三 「児童文化」の誕生 |
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第Ⅱ部 仙台における誕生期「児童文化」活動の諸相 |
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第一〇章 童謡創作の興隆と童謡詩人ヘキの誕生 |
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第一一章 仙台児童文化活動の人脈形成 |
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一一-一 桜田はるを、片平庸人との出会い |
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一一-二 千葉春雄、黒田正との出会い |
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一一-三 佐藤勝熊、都築益世との出会い |
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一一-四 天江とヘキの出会い |
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第一二章 おてんとさん社の結成と『おてんとさん』の発行 |
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一二-一 おてんとさん社結成の準備 |
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一二-二 おてんとさん社の誕生 |
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一二-三 『おてんとさん』の創刊と内容 |
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第一三章 おてんとさん社の活動と解散 |
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一三-一 おてんとさん社の活動 |
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一三-二 『おてんとさん』の終刊 |
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一三-三 おてんとさん社の解散 |
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第一四章 『おてんとさん』終刊後の動向 |
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一四-一 童謡研究会とヘキの童謡論 |
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一四-二 『おてんとさん』後の同人誌とさくらんぼ社の活動 |
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第一五章 仙台児童倶楽部の誕生 |
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一五-一 仙台児童倶楽部設立計画 |
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一五-二 仙台児童倶楽部の発足と構成員 |
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一五-三 黒田正の活動 |
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一五-四 木町通小学校と二階堂清壽の自由主義教育 |
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一五-五 黒田正の教育実践と二階堂校長 |
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一五-六 『宮城教育』と黒田正と池田菊左衛門 |
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第一六章 仙台児童倶楽部の活動 |
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一六-一 仙台児童倶楽部の発足準備と組織 |
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一六-二 仙台児童倶楽部の設立目的 |
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一六-三 童謡童話会の開催 |
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一六-四 童謡童話会の推移 |
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一六-五 仙台児童倶楽部が内包した二つの潮流とたんぽゝ童謡研究会 |
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一六-六 催物の主催と後援 |
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第一七章 仙台児童倶楽部の終焉 |
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一七-一 野口雨情招聘童謡童話大会 |
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一七-二 野口雨情童謡童話会に見られる仙台児童倶楽部の活動方針 |
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一七-三 仙台児童倶楽部の終焉 |
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第一八章 七つの子社の誕生と活動 |
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一八-一 仙台児童文化活動の第二世代 |
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一八-二 七つの子社の誕生 |
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一八-三 七つの子社のメンバーの特質 |
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一八-四 七つの子社影絵の誕生と影絵の演目 |
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一八-五 七つの子社影絵の理念と技法 |
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第一九章 伊勢堂山林間学校 |
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一九-一 林間学校の誕生 |
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一九-二 日本赤十字社夏季児童保養所 |
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一九-三 宮城県で開催された林間学校・臨海学校 |
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一九-四 伊勢堂山林間学校の開校 |
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一九-五 伊勢堂山林間学校開設の背景 |
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一九-六 伊勢堂山林間学校開校の目的 |
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一九-七 伊勢堂山林間学校の参加者と予算 |
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一九-八 伊勢堂山林間学校の献立と身体上の変化 |
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第二〇章 太陽幼稚園と児童文化活動 |
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二〇-一 仙台の幼稚園と青葉幼稚園 |
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二〇-二 相澤太玄の活動 |
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二〇-三 太陽幼稚園の創立 |
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二〇-四 相澤太玄の死と太陽幼稚園のその後 |
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二〇-五 第三代園長静田正志と児童文化活動 |
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二〇-六 太陽幼稚園の教育 |
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二〇-七 太陽保姆養成所の設立 |
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二〇-八 太陽幼稚園・太陽保姆養成所を拠点とした児童文化活動 |
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第二一章 日曜学校と児童文化活動 |
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二一-一 日曜学校の隆盛と展開 |
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二一-二 仙台の仏教系日曜学校事情 |
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二一-三 日曜学校と行事 |
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二一-四 仙台におけるキリスト教系日曜学校の広がり |
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二一-五 仙台仏教婦人会 |
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二一-六 日曜学校参加児童の年齢と選択科目 |
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二一-七 仙台仏教婦人会少女部の童謡・童話会の開催 |
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二一-八 栴檀中学日校部の創設 |
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二一-九 日校部の活動と附属双葉日曜学校 |
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二一-一〇 日曜学校発行の文集 |
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二一-一一 『ミヒカリ』と閖上コドモ会 |
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第Ⅲ部 児童文化活動の広がりと展開 |
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第二二章 大阪の児童文化活動 |
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二二-一 『蜻蛉の家』と國田弥之輔の活動 |
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二二-二 後藤牧星と『小鳥の家』 |
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二二-三 児童文化協会の活動 |
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第二三章 函館の児童文化活動 |
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二三-一 函館の誕生期児童文化活動 |
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二三-二 蛯子英二と児童文化活動 |
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二三-三 おてんとさん童話会の結成 |
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二三-四 童話会の内容 |
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二三-五 小学校訪問童話会と子どもたちの反応 |
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二三-六 おてんとさん童話会活動の特質 |
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第二四章 児童文化活動の場としての学校 |
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二四-一 学校文集の発行 |
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二四-二 児童創作文集「コトリ」の発行と実践活動の機関としての学校 |
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二四-三 上杉山通小学校の児童文化活動 |
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二四-四 学芸会の開催 |
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第二五章 児童文化業者・金野細雨の児童文化活動 |
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二五-一 金野細雨の幼少期 |
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二五-二 細雨の思想-キリスト教、エスペラント、トルストイ |
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二五-三 独立後の細雨と文芸誌の発行 |
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二五-四 『赤い実』の発行と口演童話 |
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二五-五 細雨が運んだ文化 |
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第二六章 児童文化活動の場としての家庭 |
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二六-一 仙台の家庭での児童文化活動 |
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二六-二 石丸家の子どもの活動 |
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第二七章 誕生期の「児童文化」論 |
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二七-一 『児童文学読本』と峰地光重の児童文化論 |
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二七-二 仙台の活動に見られる誕生期「児童文化」論 |
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終章 |
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二八-一 〈思想的なバックボーン〉の存在と〈循環〉 |
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二八-二 「児童文化」とは何か |
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