序章 はじまりの拉致 |
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第一章 理論視角 |
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第二章 「人類」から「東洋」へ |
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第三章 フィールドワークにおける「リスク」と「真正性」 |
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第四章 フィールドとしての博覧会 |
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第五章 「台湾」表象をめぐる帝国の緊張 |
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第六章 「比較」という統治技術 |
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第七章 「比較」を管理する |
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第八章 フィールドワークとしての観光、メディアとしての民族 |
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第九章 「日本化」と「観光化」の狭間で |
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結語 比較と植民地的想像力 |
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第一節 初期グローバリゼーションと帝国期日本のナショナリズム |
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第二節 ナショナリズム研究における「移動性」という視角 |
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第三節 比較の帝国 |
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はじめに-旅する人類学者 |
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第一節 身近なものを収集する-日本人類学における「比較」の縮小 |
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第二節 「人類の理学」という構想-坪井正五郎による比較の手法と「人種」言説 |
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第三節 「東洋」の領土化-鳥居龍蔵の「東洋人種学」構想 |
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第四節 「人類」学から「東洋人種」学へ |
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はじめに |
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第一節 リスクと真正性 |
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第二節 一九世紀後半の海外フィールドワークの社会的基盤 |
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第三節 孤独な観察者-学術探検と民族誌の創造 |
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第四節 フィールドにおける「民族接触」と「異種混交性」-西南中国調査を中心に |
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第五節 「探検」という遺産 |
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第一節 移動する村 |
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第二節 明治・大正期日本の原住民展示-人類館を中心に |
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第三節 原住民展示の「学術性」-視覚・比較・一望監視装置 |
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第四節 「見世物」化する展示、問い直される「真正性」 |
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第五節 原住民展示の「真正性」-〈博覧会〉と〈フィールド〉の裂け目へ |
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小括 |
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第一節 誤解の構造-植民地パビリオンの「文明/未開」図式を再考する |
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第二節 児玉・後藤統治時代の植民地経営の課題 |
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第三節 視覚教育としての博覧会-台湾館事業と内地観光事業の狙い |
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第四節 台湾館の成立過程 |
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第五節 「帝国の緊張」の忘却 |
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はじめに |
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第一節 観光と先住民統治 |
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第二節 明治・大正期の内地観光事業 |
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第三節 内地観光の衝撃 |
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第一節 観光と比較 |
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第二節 観光地の選別-都市観光から農村観光へ |
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第三節 観光者の選別-老蕃から青年団へ |
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第四節 恥辱の埋め込み |
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第五節 「日本化」と「未開化」のダブルバインド-台湾博覧会の展示に注目して |
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はじめに |
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第一節 帝国と移動する人々-移民・観光・フィールドワーク |
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第二節 フィールドワークとしての観光 |
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第三節 メディアとしての民族-外国人招請事業を手がかりに |
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第四節 民族接触と帝国秩序 |
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小括 |
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はじめに |
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第一節 ポスト・コロニアル時代の『民俗台湾』論争 |
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第二節 戦時下台湾の自然・文化保存政策と『民俗台湾』 |
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第三節 台湾民藝の骨董品化-「民藝解説」を中心に |
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第四節 『民俗台湾』と日本民藝協会の連帯 |
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第五節 台湾民藝の「芸術性」と「歴史性」の相克 |
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第六節 三つの「地方文化」構想 |
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第七節 日本帝国史の脱中心化に向けて |
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