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浅野氏入城400年記念事業 平成30年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」
(後期)第4回「近世尾道を訪れた人々-行商人・芸能者たちにみる他地域との交流-」を開催しました

カテゴリー:中央図書館
記事分類:お知らせ更新日:2019年5月 9日

浅野氏入城400年記念事業 平成30年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」後期 第4回「近世尾道を訪れた人々-行商人・芸能者たちにみる他地域との交流-」を平成31年2月2日(土)に開催しました。
その概要をご紹介します。

第4回「近世尾道を訪れた人々-行商人・芸能者たちにみる他地域との交流-」  
講師:尾道市立大学 経済情報学部 准教授 森本 幾子さん

歴史講座後期第4回_1歴史講座後期第4回_2

概要

近世の尾道は、瀬戸内海における主要な港町として、全国から多くの人やモノが行き来していました。尾道は、訪れる旅人にとってどのような場所となっていたのでしょうか、また反対に尾道にとって、来訪者たちが果たした役割とはどのようなものだったのでしょうか。

今回は広島藩の主要な港町である尾道が、さまざまな来訪者によって活性化が図られてきた様子を、主に広島県立文書館所蔵 青木茂氏 旧蔵文書の中の「文化十五年久保町逗留願扣」「文政十三寅十一月ヨリ年旅人滞留願控」を元にお話をされました。

  1. 町の旅人管理機能(来訪者を受け入れる町側の対応)について
    (1) 尾道を訪れた人々は「逗留願」を尾道町奉行所に提出していた。
    (2) 問題を起こした旅人の尾道入りを禁止している。
    (3) 7~8軒の宿(尾道・久保町の場合)が旅人を管理していた。
    (4) 旅人の滞留期間は短くて3日間、長くて半年ほどであったが、「追願」(ついねがい)により滞在期間の延長が可能だった。
    (5) 大坂からの来訪者が最も多く、安芸国(広島県西部)、播磨国(兵庫県南西部)、備中国(岡山県西部)、備後国(広島県東部)・・・と続いた。
  2. 尾道を訪れた行商人と、商い物の特徴について
    ・櫛(くし)、こうがい(笄。髪をかきあげて髷を作る装飾的な結髪道具)、かんざしなどの小間物類や染地反物類などの奢侈品が多い。文化文政の頃(1804年~1830年頃)広島藩では尾道町奉行所を通して繰り返し倹約令を発令していたが、遊所のあった久保町では行商人を介して多くのぜいたく品が入っていた。
    ・行灯、箸、すり鉢などの生活用品や、それを直す技術者や指南者(師匠)の来訪も多く、モノの流通ばかりでなく、修理やその技術を伝授する人たちも多く来ていた。
  3. 医療関係者の来訪について
    ・各地域からの薬売りをはじめ、眼鏡売、入歯細工人等の医療関係者も多く尾道を訪れているが、特に按摩が、全国各地から来訪している。経済発展に伴い心身の疲れを感じる人が増え、按摩などの癒しが求められていたことがうかがえる。また、眼鏡売や入歯細工人の来訪から、口や目など身体に対するケア意識の高まりもみられる。
    ・尾道に在住している医療関係者の減少と質の低下が見られ、高度な技術を持つ他地域の「旅医」への需要が高まっていた。
    ・医療関係者の来訪が多いことから、尾道だけでなく周辺地域にとっても療治の場であったとみられる。
  4. 芸能興行について
     ・大坂からの芸能者の来訪が多く、瀬戸内地域と大坂の文化交流が盛んであったことがうかがえる。
     ・18世紀後半からは、尾道の不景気対策として芸能興行を行っていた。
     ・尾道への集客を図るために、住民自ら芝居小屋を常設するなど官民共同で町の活性化を図っている。

おわりに
 江戸時代後期には、尾道のような地域の中心となった湊や町場を移動しながら、それらの地域を生業の場として生活をする人々が増加していた様子がうかがえる。尾道を例に挙げれば、様々な商品(廻船および行商から移入される商品類・技術・医療サービス・芸能等)を提供する来訪者たちが、その需要に応える形で経済的および文化的活動を行っていた。
 一方、尾道の住民たちが、経済的不景気を芸能興行によって乗り越えようとしたり、減少・後退しつつあった地域医療の仕組みを、他地域の医者の技術に頼ることによって担保しようとした事例からもうかがえるように、来訪者が尾道の地域活性化を支えた部分もあった。
 尾道は、他地域からの様々な来訪者を受け入れ、各地の多様な文化を受容することによって、地域経済の発展とともに、独自の地域文化を生み出したと考えられる、と締めくくられた。

【関連本】