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浅野氏入城400年記念事業 平成30年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」
(前期)第4回「近世広島のやきもの『江波燒』」を開催しました

カテゴリー:中央図書館
記事分類:お知らせ更新日:2018年11月20日

浅野氏入城400年記念事業 平成30年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」前期第4回「近世広島のやきもの『江波燒』」を平成30年9月22日(土)に開催しました。
その概要をご紹介します。

第4回「近世広島のやきもの『江波燒』」  
講師:元呉市立美術館長、元広島県立美術館学芸課長 倉橋 清方さん

歴史講座前期第4回_1歴史講座前期第4回_2

概要

広島市中区江波二本松にある、江波皿山という小高い丘の東南麓には、江戸時代の終わりごろ、焼き物の窯がありました。しかし昭和のはじめ、皿山の南面付近が埋め立て用土として大きく開削されたため、そこにあった窯の本体や遺構も完全に姿を消してしまいました。
平成18年(2006年)、江波地区を通過する広島高速3号(広島南道路)の測量が始まると、舟入公民館の中に研究活動グループ設立の機運が高まり、平成21年(2009年)、「まぼろしの江波焼探偵団」が発足しました。探偵団は、建設予定地内の窯跡推定地を中心に探索を行い、陶磁器片や窯道具などの資料を多数採集し、これらの資料や文献を手掛かりに調査研究に取り組みました。その結果、「まぼろし」と呼ばれた江波焼の一端が姿を現すことになりました。
今回は、「まぼろしの江波焼探偵団」の設立当初から活動されている講師から、江波焼について、その実態に迫るお話をしていただきました。

  1. 竹屋窯の誕生と広島藩の国産奨励
    広島藩の記録集『事蹟緒鑑(町新開)』に、文化9年(1812年)、竹屋町に「茶碗の試し焼きを願い出る者があり許可した」とある。また、この竹屋窯について『廣島市史 第3巻』(広島市/編、1923年 ※復刻版は1972年、名著出版)p50~51に竹屋町の陶窯と江波皿山の陶窯についての記述がある。
    また、広島県立文書館の西村晃氏の研究「広島城下焼物ことはじめ―保田家文書の竹屋窯資料の紹介」(『近世芸南地域の歴史と文化』菅原範夫ほか/〔編〕、菅原範夫、2005年)から、竹屋窯と江波窯とは、次の理由から一連のものだったことがわかってきた。
     ・窯元は江波窯と同じ油屋忠右衛門であった。
     ・広島藩が竹屋窯への関与を徐々に強めていった。
     ・竹屋窯ではすでに磁器の焼成に成功していた。
    これらのことから、竹屋窯が江波窯の前身であったと考えられる。
    当時、広島藩は財政難に直面し、他藩から入ってくる商品を制限し、領内で生産できるものはできるだけ領内で生産・消費するという国産奨励策に力を入れていた。文化14年(1817年)には国産品の生産を後押しする諸品方(物産方)が置かれたこともあり、焼き物生産に力を入れていたと思われる。
  2. 江波窯の築窯と整備
    江波窯は、竹屋窯の後継窯として文政11年(1828年)4月には、藩の出資により築窯、整備が進められていた。翌12年になると、藩主をはじめ藩の重臣たちが現地に赴き視察するなど、江波島での製陶業には並々ならぬ関心が注がれていた。これら一連の動きは、次の資料からうかがえる。
     ・「村上家乗」 (文政11年4月、広島大学文学部日本史研究室所蔵)
     ・「今中大学日記」 (文政12年4月8日、5月2日、10月4日、広島大学図書館所蔵「今中文庫」)
     ・「海宝寺文書」 (天保元(1830)年6月15日「皿山」地名の初出、中区江波本町・海宝寺所蔵)
  3. 開窯当時の江波
    江波焼の生産が盛んに行われていた文政末年から天保の初めころにかけての江波島では、瓦焼き窯、陶磁器窯(登り窯)、楽焼き窯など3種類の窯が稼働していたとみられる。
  4. バラエティーに富む江波焼
    広島高速3号(広島南道路)の工事区域からは、おびただしい数の陶磁器片や窯道具が発見され、まぼろしの江波焼探偵団によって採集された。これまで、江波焼は染付製品一辺倒というイメージがあったが、採集品には染付磁器製品はもちろん、土瓶、急須、壺、徳利、火鉢、灯明皿、花生け、植木鉢などの日常雑器としての陶器も多数含まれていた。このことから、江波焼は主に広島城下の人々の需要に応じて作られ、藩の国産奨励策に沿って生産が進められていたと考えられる。
  5. エドワード・S・モース来る!
    大森貝塚の発見・発掘で有名な米国の動物学者モースは、日本の陶磁器や民具に興味を持ち、全国各地で収集活動を行った。明治34年(1901年)にモースが著した『モース・コレクション日本陶器目録』には明治10年代、日本で収集、調査した陶磁器4,646点を収録し、地域ごとに分類、由来、特徴などを詳述している。
    明治15年(1902年)8月には海路、広島を訪れ、宮島焼をはじめ竹屋窯や江波窯の製品を収集、記録した。その中に、「天保元年(1830年)、ケイサイ・フジヤ(富士屋桂斎)がエバムラ(江波村)に窯を築き、宮島で販売する酒器や茶器を作った」とある。この窯は磁器窯とは異なる楽焼き窯であったようだ。
    また、このような江波焼と宮島焼の関係については明治18年(1905年)、厳島神社宮司・浅野忠(あさの ただす)も『安藝國嚴嶌神砂焼』(国立国会図書館所蔵)に記録している。ただし、モースと浅野の著述には食い違いもみられる。

これまでの活動により、江波焼について知られていなかった多くの発見があったが、まだまだ矛盾点や解明されていないことも多く、今後の調査・研究が待たれると結ばれた。

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