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浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」
第2回「広島歴史探訪ー知られざる、しかし身近な史跡を探る」を開催しました!

カテゴリー:中央図書館
記事分類:事業報告公開日:2017年9月 9日

浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」第2回「広島歴史探訪~知られざる、しかし身近な史跡を探る」が7月15日(土)に開催されました。
その概要を簡単にご紹介します。

第2回「広島歴史探訪~知られざる、しかし身近な史跡を探る」  
講師:広島市郷土資料館 学芸員 本田美和子さん

歴史講座第2回_1歴史講座第2回_2

概要

江戸時代の広島の史跡は、案外私たちの身近にあるものです。日常気が付かない場所に当時の名残を見ることができますので、街を歩くときにちょっと注目してみましょう。

  1. 道に注目して、干拓堤防の名残を探そう
    約430年前、三角州の上に広島城が築城された当初、広島のかなり広い部分が海でした。江戸時代に、今の平和大通り以南の浅瀬を囲い込むように干拓堤防を設け、陸地を拡げてきましたが、その堤防の痕跡が見えるところがあります。

     ①道の向きが変→観音町電停の北側、南大橋東詰から国泰寺交差点など
     ②弧を描く道(干拓堤防の名残?)→吉島など
     ③段差がある→平野町など
     ④①~③を兼ね備えている→仁保島西新開の干拓堤防跡
  2. 神社に注目しよう
     ①吉島神社と舟入神社は干拓堤防の上に設けられている
     ②住吉神社は江戸時代の主流であった水上交通の要衝「本川」を守護
     ③西本川浜恵須神社(中区土橋)と常夜灯→「広島諸商仕入買物案内記幷ニ名所しらべ全」(1883年)
  3. 街区の形に秘められた歴史
     ①大河浦入海...入江の痕跡
     ②竹屋川の痕跡と最上玉森稲荷神社...城下町を流れていた人口の運河「平田屋川」の痕跡
  4. これって何故ここにあるんだろう?
     ①原爆ドームがこの場所に建てられたのは?
    • 「舟運」の荷揚げ場所であった中島本町周辺は、商業の中心地としてとしてにぎわっていた。つまり、川沿いが当時の繁華街だった。
    • 広島藩の米蔵が置かれていて、廃藩置県後官有地であったので、大きな建物が建てやすかった。

 ②基町環境護岸にはなぜ突き出た形状のテラスが設けられたのか

    • 本川などから運ばれてくる砂が溜らないように「水制工(水はね)」が設けられていた。戦前は船着場としても利用されている。戦後、これを利用してテラスを設けた。

 ③これほど多くの雁木が設けられたのは?

    • 広島の川は非常に干満差が大きく、荷揚げするために通常の桟橋では対応できないため、階段状の「雁木」が多く作られた。
    • 本川橋西詰めの雁木、クスノキの大雁木、京橋川雁木群、など
参考資料
  • 「広島町新開絵図」(広島市蔵)
  • 「芸州広島図」(広島城蔵)
  • 「承応二年御城下洪水以後所々堤高下出来絵図」(広島市立中央図書館蔵)
  • 近代以降に発行された各種広島市街地図
  • 広島市街航空写真(昭和20年7月25日 米軍撮影)
講師紹介資料
関連資料

講座会場では、以下の資料を紹介しました。
(1)レジュメに登場した資料に関する本

(2)歴史地理に関する本