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浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩」
第1回「浅野長晟の広島入城と初期藩政」を開催しました!

カテゴリー:中央図書館
記事分類:お知らせ更新日:2017年7月20日

浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩」第1回「浅野長晟の広島入城と初期藩政」を6月24日(土)、合人社ウェンディひと・まちプラザで開催しました。
第1回ということで松井市長の開会挨拶の後、講座が開始され、会場を埋め尽くした約150名の方が、最後まで熱心にメモを取りながら聴講されました。
今回は、その概要を簡単にご紹介したいと思います。

歴史講座第1回_1歴史講座第1回_2

概要

広島県立文書館総括研究員の西村晃さんのお話は、広島藩初代藩主長晟(ながあきら)の人物像と広島入城の状況、入城直後の長晟の政治、浅野家臣団の統制などについて、資料を見ながらの具体的な事実に基づいたお話でした。

長晟は天正14年(1586年)1月、浅野長政の二男として近江国坂本で生誕。慶長18年(1613年)和歌山藩主であった兄幸長(よしなが)が38歳で逝去したことで、後嗣をめぐり弟長重(ながしげ)を擁立する家臣間の対立があったが、江戸で家康と秀忠に裁許を請い、同年、28歳で和歌山藩主になった。

元和5年(1619年)7月、広島42万6千石に転封。国元へ知らせる書状には、「秀吉寝所で直接上意『我等と一度縁続きとなった関係、広島は中国の要だが、浅野家以外に与えるものがいない』とあり、将軍の権威を借りて藩主の権威を高め、家臣の統制をはかったもの」との説明があった。(『芸藩輯要』)

8月、和歌山を出船し広島に上陸、天神町の天神坊(現天満神社)で小憩した後、行列で広島城に入城した。(『新修広島市史』第6巻) 入城直後から、和歌山藩での一揆に苦心した経験をもとに、領主交代による領民の動揺を抑え、年貢収納を図るなど、軍事力を背景とした政治を行う。4家老の知行割を行ったが、それに不満な筆頭家老の浅野左衛門佐知近が御礼登城しないことから、誅伐。藩内の抵抗勢力の一掃に成功するとともに、幕府からの信頼も獲得した。(『芸藩輯要』『広島県史』近世資料編Ⅲ)

浅野家は、豊臣取立大名として、短期間で加増・転封され、急速に大大名に出世したことから、譜代家臣が少なく、各地で抱えた新参の外様家臣が多かった。有力家臣のうち、浅野左衛門佐知近や亀田大隅守高綱など勇猛な家臣は次第に活躍の場を失い、姿を消していく一方で、行政手腕に勝れた長晟側近(岡本修理亮等)が次第に藩政の中枢へ進出してくることになる。

参考資料

講座会場では、以下の資料を紹介しました。