畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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さらりすてかずらきずらん せりもち徳能は他をぬきんでているように思われた。またこの老人の記念碑があった。老人を愛慕したエリザベスという娘が建てたもので、碑文によるとこの娘も、「彼女の幸福を願うてやまざりし父親の死、及び二愛児の死後僅かにして歿せり」とあった。だがこの文句はあきらかに原文に、あとから書き加えられたものだった。 つづいて見た銘板には、このエリザベスの夫、ジェームズ・メレウェザーのことが、しるされていた。その一節に―「若かりし頃、成功裡に事とせしこれらの技術を、彼にしてなお切瑳琢磨したりしとせんか、恐らくは英国のヴィトルヴィウス〔紀元前一世紀頃の羅馬の大建築家、マーカス・ヴィトルヴィウス。〕の名を贏かち得しならんとは、斯道に権威ある鑑識家の口を揃えて言うところなり。されど彼は、愛する妻及びいとけなき子を、突如として失いたるにより心挫け、その青春より晩年に至るまで、僻遠の地ながらも、輪奐の美をつくせる一閑邸を建てて住みなせりき。―彼を渇仰せる甥にして後継者なる我は、彼の卓抜なる技能に対し、敢えてこの蕪文を捧げ、衷心敬虔なる哀悼を表するものなり。」 子ども達のことは、ごく簡単に追憶されていた。二人とも九月十二日の夜死んだと記されていた。 ディレット氏は、このイルブリッジ家の事蹟の中に、たしかにあの人形屋敷の悲劇の場面があったと思った。彼はまた、古い版画らしい、五六の写生画集の中で、自分の考えが正しいと信ずるに足る証拠を見つけた。だが現時伝わっているイルブリッジ邸は、彼が探がしていたものとはちがっていた。それは石造の迫持と平ひ縁えがついていて、初期のエリザベス時代の建物だった。この建物から約四分の一哩をへだてて、むかしながらの石松や常春籐たにびっしりとからまれた樹々や、茂った矮や林ぶを背にした荘園があるが、その低い部分に、雑草で蔽われた歩廊の台座の跡があった。唐草模様を彫刻したこわれた石の手摺子が、蕁い麻くや蔦にからまれたまま、あちこちに、ころがったり重なったりしていた。これがなにか、古い屋敷跡だということを物語っていた。 馬車を駆って村から立去ろうとした時、教会堂の時計は四時をうった。ディレット氏は、はじめて聞いたのでもな― 99 ―

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