畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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かな フォア・ポスターひきだしかどかどぐらといっていいほどのものだった。それが今や、三つの丈高い硝子窓を斜めにさし入る夕日に輝いているのだった。 それは幅六呎たっぷりで、正面左側に礼拝堂、右側に厩がついていた。屋敷の主要部分は、前に言ったようなゴシック様式で、窓にはみな尖ったアーチになっており、上方には寺院の壁に刳くい込んだ塋つ穴あの天蓋に見受けられるような、唐草と鬼板飾のついた、筋違骨の幌がかぶさっていた。角々には、アーチ形の格子だらけの、おかしな櫓やがあった。礼拝堂には小さな尖塔や控壁があり、櫓の中には鐘がかけられ、どの窓も色硝子がはめこんであった。正面をひらくと四つの大きな部屋が見えた。それは寝室と食堂と客間と台所で、どれにもそれぞれしっくりした家具が、まったく完全な状態で備えつけられていた。 右側の厩は、二段になっていて、それには、馬具や飾馬車や馬丁が入れてあり、また柱時計がかかり、時鐘にはゴシック式の円天井がついていた。 この屋敷の装備については―どんなに沢山のフライ鍋、どんなに沢山の金塗りの椅子、そのほか絵の額だとか、絨緞だとか、シャンデリヤだとか、四柱寝台だとか、食卓布、コップ、皿小鉢などが備えられていたかについては、無論、紙数を費して書くべき必要があるのだが、それはすべて読者の想像におまかせしよう。ただ言って置きたいのは、屋敷の基底すなわち柱脚(この柱脚は正面のドア及び半分手摺のついているテラスへの踏み段がもつ或る深さに、しっくり合うようになっていた)に、浅い抽斗がついていたことである。この抽斗には、きれいに保存されている刺繍のカーテンや、屋敷の中の人形の衣類の着替えや、約言すれば、この屋敷におもしろくたのしい変化を与え、修理を加えるための、数限りない材料品が入れてあったのだった。 『ホレース・ウォルポール〔一七〇〇年代の英国の小説家にして政治家。一七四七年ツイッケンハムのストローベリー・ヒルに住し、そこを小さなゴシック式の城に作った。〕の精髄とはこれさ。ウォルポールはきっと、なんとかしてこんな屋敷をつくろうとしたにちがいない。』―これが、この人形屋敷の前で、うっとりと恭々しく膝まずきながら― 89 ―

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