畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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イニシアル が合った。 『学校は大きかった。通例として百二十人乃至百三十人の生徒を収容しなければならなかった。で、かなりの数の先生も必要だったし、また時々先生の更迭もあった。 『或る学期に―たぶん第三学期か第四学期だったと思うが―一人の新任の先生が、僕のクラスに来られた。サムプソン先生といって、背の高い、がっしりした、顔色の蒼白い、髭のある先生だった。僕達は先生が好きだった。先生は沢山旅行をしていられたので、遠足の時なんか、おもしろい話をしてもらえた。先生の声の聞えるそばにいようとして、僕達はよく押しあったものさ。またこんな記憶もある―うむ、僕はあれ以来まるでそれを考えたこともないんだが―先生の懐中時計の鎖には、ちいさな飾りがついていた。ある日僕はそれに心をひかれた。先生はその飾りを僕によく見せてくだすった。今から思えば、それはビザンチン金貨だった。一方には、なにかおかしげな皇帝の像がついていたが、一方はほんとうに、すべすべに擦りへらされていた。しかも先生はそこへ、乱暴に、自分の頭文字のG・W・Sと、一八六五年七月二十四日という日附を、自分で彫ほりつけていられた。そうだ。僕は今でもそれを目に浮べることができる。先生はこの金貨を、コンスタンティノープルで拾ったのだと言っていられた。それはフロリン〔一八五〇年頃のイギリスの銀貨〕くらいの、いやあれよりちょっと小さなものだった。 『ところで、まずはじめの奇怪な事件が起ったのは、こうだった。 『サムプソン先生は、僕達にラテン文法を教えていられたんだが、先生得意の教授法は―それはうまい方法だといっていいんだが―まず僕達の頭で文章を作らせ、それを土台に、学ぶべき規則を説明しようとするのだった。無論これは、できの悪い生徒に、出しゃばらせる機会を与えるやり方だ。果してそんなことが沢山起りもしたし、まあ、起りやすくもあった。だがサムプソン先生は、いかにも善良な先生だったので、身をもってそれがやれないように思えた。― 68 ―

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