畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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・・・わ・・・・・・・・・・・ いたように感じました。たしかに聞いた―聞いたと思った―言葉は、なんだか、“引っ張れ、引っ張れ。おれが押す、お前引っ張れ”と、いう言葉のようでした。 ウィルキンス嬢はなお話をつづけて、 『なにか知ら恐ろしくなって、わたしは飛びあがりました。声は―ささやきよりも、もっと小さかったのですけれど―いかにもしゃがれた、怒りっぽい響きをもっていました。しかも遠い遠いあちらから―ちょうどフランクが夢の中で聞いたように―聞えて来るのでした。でも、びっくりはしましたけれど、わたしはしっかり勇気を出して、あたりを見まわしました。声がどこから来るのか、知ろうとしました。そして―声は、いかにものろまげで、でも、事実は事実ですけれど―わたしは、その声が、腰掛の端にあった古い棒っ杭に耳をくっつけると、いちばん強く聞えることを確めました。だから、わたし、その棒っ杭に、しるしをつけたことは、おぼえていますの。―お裁縫籠から鋏を出して、できるだけ深くしるしをつけましたの。なぜそうしたのか、自分でもわかりません。そう、どれがあの棒っ杭だったか……おお、それでしょうよ。その上にしるしや搔き痕がありますわ。―でも、一つはわかりませんわ。ともかく、アンストルーザーの奥さま。あなたがいらっしゃる、そのそこの棒っ杭と、まったく同じでしたわ。わたしの父は、フランクとわたしが、涼亭で怖こい目に会ったことを知りました。そして父は、ある日夕御飯のあと、自分でここへ下りて来て、急に涼亭を抜き倒してしまいました。わたし、その時のことを思い出しますわ。父はここで、よく臨時雇いに使った爺さんと話をしていました。爺さんは、“旦那、あんなことを恐れないだっていいでさあ。あいつはここん中に、しっかと押へられてまさあ。誰もあいつをよそへ移したり、飛び出させたりしなきゃあね。”と言いました。わたし、それがなんだか訊いたのですけれど、うやむやに返事をされただけでした。きっと、わたしが大人だったら、父なり母なりから、ずっとくわしい話を聞くことができたでしょう。でも、御存じのように、父も母も、わたし達がまだまるで子どもの時分、死なくなってしまいました。ほんとうに、あの事はいつもわたしには、奇妙に思え― 37 ―

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