畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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ち ぐらに飛びこんだにちがいないのでした。彼の口には、砂や小石が一杯に押しこまれており、歯と頤は、めちゃめちゃに砕かれていました。私は彼の顔を二度見る気にはなれませんでした。 屍体をどうにかしなければと、二人が砲台から這い降りかけた、ちょうどその瞬間に、私たちは叫び声を聞きました。一人の男が円砲塔の土手を駆け降りて来るところでした。彼はここに駐在している番人で、彼の鋭い老眼は、霧越しにも、なにか変事があったことを見抜いたのでした。彼は倒れているパクストンを見、そのつぎの瞬間、私たちを見て、駆けつけたのでしたが―これが幸いで、もしそうでなかったら、私たちはこの恐ろしい事件に関するの嫌疑を、ほとんどまぬかれることはできなかったでしょう。私たちは彼に、パクストンを襲った者を、目撃しはしなかったかと訊きました。彼はどうもおぼえがないと応えました。 私たちは彼に頼んで、手伝ってくれる者を呼びにやりました。そして担架が来るまで屍体のそばに立っていました。そのあいだに、私たちは、パクストンがどうしてここへ来たかと、砲台の壁の下の、せまい砂地の縁ふを伝ってみました。そのさきは小石道なので、加害者がどこへ行ってしまったか、残念ながらわかりませんでした。 検屍官の取調べに、なんと言ったらいいか?そこで、その時に、王冠の秘密を、いろんな新聞に書きたてられるままにしてはいけない、これがわれわれの義務だと思いました。私はこの話を、どれほど深く言ったか、わかりません。だが、この点が大事なのです―すなわち、私たちがパクストンと知己になったのは、ついこの事件の一日前であること、そして、彼がウィリアム・アージャーと呼ばれた人物の手中に、なにか或る危険の懸念のもとに置かれていると、われわれに打ちあけたこと。また、われわれが磯づたいにパクストンを追っかけた時、彼の足跡のほかに、他の数人の足跡を見たこと。しかし無論、取調べの時には、すべて砂上から消え去っていたこと。 誰一人、幸いにも、この地方に住んでいる、いかなるウィリアム・アージャーという名の人も知っていませんでした。円砲塔の番人の証言で、私たち二人はすべての嫌疑からのがれました。陪審官の評決では、或る人物あるいは知― 170 ―

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