畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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バロネット )()(ジェントルマンス・マガジン判断するのである。〕をなさんにはと。こは神聖多幸の殉教王チャールス及びフォークランド卿の行いたる実例ありて、今日語り伝えらるるところなり。余はこの試みが余にさしたる助力を与えざりしことを告白せざるべからず。されどこれ等恐るべき事件の根源が、将来闡明せられんがために、余はここに卜占の結果を記し、この結果が、余の解釈よりも更に明快なる解釈もて、この災禍の真相が摘発せらるる場合に資せんとす。―すなわち余は、聖書を開き、或る語句の上に指を置き、三回の卜占を試みたり。第一に得たる語句は曰く、“これを伐きり倒せ”ルカ伝、第十三章第七節。第二に得たる語句は曰く、“ここに住むもの永く絶たえ”イザヤ書、第十三章第二十節。第三に得たる語句は曰く、“その子等もまた血を吸う”(ヨブ記、第三十九章第三十節)。』― 以上が牧師クローム氏の手記から引用した要旨である。マシュウ・フェル卿は、正式に棺へ収められ埋葬された。葬儀の説教は、つづく日曜日、クローム氏によって講演された。演題は“探知し得ざる進路、すなわちイギリスの危惧と反其督教徒の悪行”というのだった。フェル卿が再発せる羅馬教の陰謀の犠牲だったということは、クローム氏の意見でもあり、同時にその周囲の人々が最も一般的にもっていた意見でもあった。 マシュウ卿の令息、マシュウ卿二世は、爵位と家督を継いだ。こんなふうにして、キャスリンガム悲劇の第一幕は終ったわけである。そして、べつに驚くにもあたらないことだが、この従男爵は、父が死んだ部屋は用いなかった。また、ほんとうに、彼が在世の間は、時に来客にあてがうことはあっても、誰もその部屋で寝ることはなかった。彼は、一七三五年に死んだ。そして、彼の家畜がふしぎにも絶えず斃死し、しかもそれが時のたつにつれて、すこしずつ数を増す傾向を示したというほかは、全体として、彼の治世には、これぞという事件もなかった。こまかな穿鑿ずきの人々は、その従男爵の手記からいろんな事実を抜粋した一七七二年の“紳るがよろしい。従男爵は、とうとう至極簡単なやり方で、右の斃死を喰いとめた。つまり、夜間はいっさいの家畜を士雑誌”の記事に於ける、統計を見― 16 ―

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