畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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たなごころソールティーベットに横わりし屍体は、甚だしく取り乱しおりて、その極度なる惨状は、わが徳たかき友にして保護者なりし人が、いかに苦痛苦悩裡に死せるかを、如実に推測して余りありとおぼゆ。なおここに不可解なる事、且つ余自身にとりては、この兇猛なる殺人の加害者が行いたる、或る恐るべき巧妙なる手段の論拠ともならん一事あり。そは、屍体の洗浄と埋葬とをゆだねられたる女子達に関してのことなり。これ等の女子は所謂泣き女にして、その職業には好適の女子なりしが、わが前に来りて心身ともに苦痛と疲労に耐えざるを訴う。たしかに一見して余はその真なるを知る。彼女等は曰く、われ等屍体の腕に素手を触るや否、掌にいとふしぎなる疼くが如く刺すが如き痛味を感じたり。そは両の前膊に及び、久しからずしてかくも甚だしく脹はれあがりたりと。この激痛はなお継続して、実に数週日の間、彼女等は、その職業をそのまま実地に、泣き叫びて過したりとの事なりき。しかも彼女達の皮膚には、なんらの異状も認められざりしなり。―彼女等の訴を聞くや、余は、なお在館せし医師を招きぬ。水晶のちさき拡大鏡の力を借り、充分注意して彼女等の肉体の、その部分の皮膚を検診したりも、二つの小さき刺傷のほかは、なんら重要なる事実を発見するを得ざりき。われ等はかのボルギア法王の指環、その他前時代に於けるイタリアの毒殺者等が用いたる恐るべき手段の有名なる例を想起しつつ、この斑点が毒を導入せし痕跡ならずやと結論したり。―とにかく、マシュウ卿の屍体に認められたる徴候につきては、語るべき事なお多し。単に余自身の考査なれど、余が更に書き加うる点に関しては、そこになんらかの価値ありや否、そは子孫の判断に残さるべき問題なり。ベッドの傍らなる卓上には、小型の聖書一冊ありき。こはわが友マシュウ卿が、この書の尊きを思い、時間に寸毫の狂いなく、夜々の就床、朝々の起床に際し、定めたる部分を読みならわせしものなりき。而して余はこの聖書をまさしく涙ながらに取りあげたり。この聖書たる、このいたましき前兆を討究して今やその真の本源を熟考すべきの資料たるべきものなり。余思えらく、かかる施すに術すなき時には、前途に光明を認むべき、その実にわずかなる閃光をも、捕えんとし勝ちのものなりよし、古くより多く行われたる迷信的方法ながら、卜占ズ〔これはsortes Biblicæといって、聖書を盲目探しに開けて吉凶をべ ― 15 ―

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