畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
147/172

ア ぶ たかみみた スカイラインい。 海と町から歩み去って、停車場を過ぎると、道は右方に曲折する。それは砂の多い道で鉄道線路に並行し、なお歩を進めると、いくらか高い丘にのぼることになる。左手(今北へ向けてあるいているとして)にはヒースが生い茂り、右手(海に向った側)には、樅もの老樹が帯のように連らなる。みな風に傷いみ、てっぺんはこんもりして、海辺の老樹らしい傾斜をもっている。読者が汽車から空際線を眺めると、これらの樹々は、すぐさま諸君に、風のひどい海岸に近かづきつつあることを、知らせるだろう。―で、このちいさな丘の頂上からは、これらの樅の樹が、海の方へズーッと走っている。丘の隆起線がその方へ延びているからだ。隆起線の端は、いい工合な広さの高地になっていて、荒草のはえた平坦な野っ原を見おろし、そこも樅の茂りを冠かっている。暖かな春の日、ここに腰をおろして、青い海や、白い風車や、赤いコッテージや、輝やかな緑草や、教会堂の塔や、そして南の方にある遠い円砲塔を眺めることは、はなはだ快適である。 前にも言ったように、筆者がはじめシーバロウを知ったのは少年時代だった。で、ずいぶん年数を隔てているため、筆者のその頃の見解はずっと近頃とはちがっている。でもなおその見解は、筆者の胸にとどまっている。だからここに取りあげて言う、その見解についてのどんな話も、筆者には興味あるものである。 ここに記述する事件は、一つの、こうした話なのである。それはシーバロウからずっと遠くはなれた場所で、そしてまったく偶然にも、或る人が語った話なのである。この人は、みずから進んで、こんなに心の底まで秘密をうちあけてくれるまでに、筆者を信じてくれたのである。 私はあの地方全体のことは、多少とも知っているんです(と、彼は話しはじめた)。春になると、私はゴルフをするため、かなり規則正しく、シーバロウへゆくことにきめていました。大抵は“熊ベ”〔旅館の名〕に、一人の友達と―ヘ― 147 ―

元のページ  ../index.html#147

このブックを見る