畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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たかみ 、、、、、、 みふうしゃ イギリスの東海岸にある場所―読者に考えて頂きたいのは、シーバロウだ。 そこは今も、少年時代にいた筆者の記憶にあるものと、ひどくちがってはいない。沼地が南方へかけて、堀で切断され、“莫大な遺産”〔デイッケンズの小説。村の鍛冶屋の甥、ピップの自叙伝。〕のはじめの章を思い出させる。平坦な野っ原は北方に延びて、ヒース〔石楠科の潅木〕の茂りの中に、呑みこまれている。ヒースばかりでない。樅もの森、そして特に内地産の、はりえにしだも茂っている。 ながい臨海地と街。その後方には、石造りの広大な教会堂があり、大きくて堅牢な西欧風の塔をそびえさせ、六つの鐘の慇々たる音をひびかせる。 筆者は八月の暑い日曜日に鳴るこの鐘の音を、実によく記憶している。その時、筆者たちの連中は、白い埃っぽい坂道を、教会堂を目ざして、そろりそろりと登ってゆくのであった。教会堂は、短かくて急な傾斜面の頂にあるのだ。鐘はこんな暑い日には、鈍い、板でもうつような響きを発するのだが、空気がやわらかければ、またそれだけ澄んで鳴りわたるのだった。 鉄道は、この同じ道に沿うて、遠くの小さな終点へ走り下っていた。軽快な、白い風車が、ちょうど駅へ出ようとするところにあった。そしてもう一つの風車は、町の南端にある低い砂礫の浜にちかいところに、そしてまだもう一つが、北方の高地にあった。そこにはスレート葺きの屋根をかぶった、陽気な赤煉瓦のコッテージがあった。・・・・だが、どうして筆者はこれら平凡なこまかな風物を描写をして、読者を煩わすのか?事実は、筆者がシーバロウについて書きはじめると、鉛筆の先に、これらの風物が群がってくるのである。筆者はたしかに紙に書きつけるべき当然のものを斟酌したつもりである。だが、筆者は怠慢だった。筆者はまだ、言葉で描写する仕事を、充分果してはいな好事家への警告― 146 ―

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