畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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ケースメント 牧師はその動いているものへ目をやった。が、月の光では、その色あいはまるでわからなかった。しかし、瞬間にみとめたかっきりした輪廓は、頭脳に深く印せられた。そして、ばかげたことだと言われようと、それは栗鼠であるないは別にして、四つ足以上の足をもっていたと、彼は断言し得たのだった。 しかし、この瞬間的な幻影ともいっていいものは、それきりで止んだ。二人はそこで別れた。―それ以来二人が会ったのは、二十年間も経ったというようなことではなかった。 翌日、マシュウ・フェル卿は、いつもの習慣のように、朝六時に二階から下りては来なかった。いや、七時になっても八時になっても、下りて来なかった。そこで従僕たちは、卿の寝室へ行ってドアをノックした。従僕たちが、不安らしく耳をすまし、幾度も鏡板を打ちつづける描叙を、ながながと書くには及ばない。とうとうドアは外側から開けられたが、室内で発見されたものは、黒ずんで死んでいる卿の姿なのだった。読者がてっきり想像されるような、暴力のしるしは、その時には一つも見うけられなかった。だが窓は開け放たれていた。 従僕の一人は、牧師を呼びにゆき、それから牧師の指図で、検屍官に知らせるため馬を飛ばした。牧師のクローム氏は、大急ぎでホールへ駆けつけた。そして屍体のある室を見た。氏はマシュウ卿に対する真の尊敬と哀悼を示す一文を紙に書きのこした。ここに筆者が写しとったこの一節は、事件の経過と、その時代の一般的信仰を、あきらかにするためのものである。―『入口には寝室に押し入らんとしたるごとき、わずかの形跡すら認められざりしと雖も、故人がこの季節には、常に閉じいたりし窓扉は、開け放たれいたり。彼は約一パイント〔三合強〕入りの銀器に、小量の強麦酒を晩酌としたりしが、今宵はそを飲み干しおらざりき。この飲料はバリイより来れる医師ホジキンス氏といえる人により、検査せられたり。されど氏は、後にも検屍官の査問に対して誓言せると同じく、その中になんら有毒なる物質を発見し得ずと述べぬ。屍体のいたく脹はれあがりたると黒ずみたることには、当然近隣の人々も、毒薬にもやと語り合えりしなり。エール しもべ ― 14 ―

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