畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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ライ・ーヴス 私は、読んだことのない、占星学上の著述の写本を所蔵している。この写本の口絵の一つに、ハンス・ゼーバルド・ベーハム〔一五〇〇年代のドイツの版画家。聖書や年代記の版画の傑作がある。〕の木版画がある。多くの賢人哲人が、卓を囲んで坐している画である。このディテールは、鑑定家に、原本と一致していることを証明せしむるに足るものである。私はその書名を思い出せないし、今は思い出すべきよすがもない。だがその飛フ頁リ〔本の前後にある白紙〕にはいっぱいなにか書き入れてある。十年も私はこの本を所蔵しているのだが、読むべき方法を決定し得ないし、いわんやそれがどこの国語であるかも決定し得ない。銅の小函にあった記録を、時間をかけて研究した後の、アンダーソンとイェンゼンの境界は、こうした私の境界に似ないでもなかった。 二日間考えぬいた結果、イェンゼンは、二人のうちでは大胆なので、この国語は、ラテン語か古代デンマーク語かのどっちかだと、冒険的な推測を下した。 アンダーソンは、敢えて推測を加えるようなことはしなかった。そして、進んで、函と記録は、博物館に陳列するため、ヴァイボルグの史学会へ引き渡すべきだとした。 私は、この二三ヶ月前、甥のアンダーソンから聞いたのである。それは二人でウプサラの図書館を訪ねた時で、近くの森の中に腰をおろし、われわれが―いや、むしろ私が―悪魔に身を売る約束をしたというダニエル・サルテニアス(晩年ケーニヒスベルグ大学で、ヘブリュウ語の教授だった人物)の事蹟を、笑った時だった。アンダーソンは、事実、愉快ではないようだった。 『若き愚か者!』と、彼は言った。この言葉は、サルテニアスを指したもので、彼がその無分別を行ったのは、ほんの卒業前の学生にすぎなかったのだ。『いったい、あの人は、自分が機嫌をとろうとしている仲間が、どんな仲間なのか、わかりそうなものなのに!』 そこで私は、これに対して紋切型の考えを言ったのだが、彼は不平らしく鼻を鳴らした。その午後、彼は、ここに― 133 ―

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