畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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. てないのです。私はあの声が、ここから出るのだと合点して、ここへ来たのでした。あの声はてっきり、私の部屋の次の部屋ですよ。』 『あなたの部屋と私の部屋の間には、部屋なんて、ないじゃありませんか。』と、アンダーソンは熱心に言った。 『ええ、そうです。』と、イェンゼン氏はむしろ鋭く、『すくなくとも、今朝はなかったです。』 『ああ!じゃあ、今晩だって、ないはずです。』 『どうも変だ。』と、弁護士は、ためらい勝ちに言った。 突然、隣りの叫び声、唄い声が、バッタリやんだ。そして唄い手は、ひとり低くうめき笑いするようにみえた。この響きには、三人とも、しんそこ震えあがった。―と、あたりは静まりかえった。 『ねえ、クリステンゼンさん。』と、弁護士は言った。『なんか話がありますか?これはどうしたわけですか?』 『とんでもない!』と、クリステンゼンは言った。『どうして話なんか!私だってあなたがた以上に、なにも存じませんよ。どうぞ二度とふたたび、あんな声を聞くことのありませんように。』 『私だって。』と、イェンゼンは言った。そして吐息の中になにごとか混じえた。はっきりしないが、アンダーソンには、そのなにことかが、聖書の詩篇の中の、最後の言葉“omnis spiritus laudet (なんじ等エホバをほめたたえよ)であるように思えた。 『しかし、この三人で、なにかしなくちゃいけませんね。』と、アンダーソンは言った。『隣りの部屋へ行って、調べてみようじゃありませんか?』 『でも、あれはイェンゼンさんのお部屋ですよ。』と、主人は咽ぶように言った。『行ったところでつまりません。イェンゼンさんは、あそこからここへ来られたんですもの。』 『いや、私だって、べつに確かじゃないのです。』と、イェンゼンは言った。『このお方のお言葉が正しいと思う。Dominum”― 129 ―

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