畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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ケーサス・ベライ思った。十二時間のうちに三度も間抜けた間違いをするなんてことは、規則正しい、心こまかな人間にとっては、あまり数が多すぎた。そこで確かめるために振り返えった。十四号室の次の部屋は、彼の部屋の十二号室だった。第十三号室なんて、結局ありはしないのだった。 五六分間、この一昼夜に経験したいろんなことを、よくよく考え直してみたが、アンダーソンは、この問題を打ち切ることにした。もし彼の視覚なり頭脳なりが、まさっていたら、彼はこの事実を探り出す多くの機会を持った筈である。そうでないにしても、きっと非常に興味ある経験をした筈である。いずれにしても事件の発展は、たしかに注目に価いした筈である。 その一日中、彼は、前に言ったあの僧正の書翰を研究しつづけた。残念なことには、書翰は不完全だった。ただ一通だけは、ニコラス・フランケン博士の事件に関係しているものであることがわかった。それはヨエルゲン・フリース僧正から、ラスムス・ニールゼンに宛てたものだった。こんな文句があった。―断乎貴下に抗議すべき存念に候いしも、わが信実にして愛すべきニコラス・フランケン博士は、まさに貴下の錯誤にして悪意ある嫌疑を敢てせられたるにより、突然われ等より除去せられ申候。こはあきらかに末法濁世の問題たるべく候。而も貴下が更に進んで、使徒にして大伝道者たる聖ヨハネが、その至高なる黙示録に於て、神聖羅馬教会を「誹衣の婦人」〔すなわち邪教〕の姿にて叙述せりと主張せられ候こと、よくこの間の消息を伝えたりと存ぜられ候。』云々。 ずいぶん穿鑿したのだが、アンダーソンは、この書翰の続きを発見できなかったし、また開戦理由の「除去」の原因や方法について、なんの手がかりも発見できなかった。彼はただフランケンが、突然死去したのだと想像し得ただけだった。すなわち、ニールゼンの最後の書翰の日附―その時は、たしかにまだフランケンは生存していた―と、僧正の書翰の日附の間には、二日の差しかないのでフランケンの死は、まったく不慮のものでなければならなかったの『われ等は、法廷に於ける貴下の裁断に対し、承服するの心、いささかもこれなく、且つそのため必要に応じては、― 122 ―

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