畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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なかみかった。それはおせっかいな下男が、取りのけて、きっと中身を衣装箪笥へ入れたのらしかった。だが、なんにも衣装箪笥にはなかった。これには困った。泥棒だという考えを、彼はすぐ棄てた。そんなことは、デンマークでは、めったにないことだった。だが、ちょっとした間抜けは、たしかに行われることはあった(それは珍らしいことではない)。そして「間抜け者」はきびしく戒められなければならない。しかし、彼の欲したものがなんだったにしろ、それは、彼の気慰みからいって、朝まで待ちきれないほど必要なものではなかった。だから彼は落ついて、ベルを鳴らし下男たちを騒がそうとはしなかった。彼は窓―右手の窓―へ行き、静かな往来をのぞき出した。そこに向う側に、だだっぴろい平塀をもった、丈高い建物があった。人っこ一人通らない。暗い夜。見るに足るものはなにもない。 灯火を背にしていたので、彼の影は向うの塀に、はっきり映った。また、左のほうには、第十一号室にいる、髭のある客の影もはっきり映った。袖附きシャツを着て、一二度行きつ戻りつし、そしてまず髪にブラシをかけ、やがて寝間着と着かえた。 するとまた、第十三号室の客の影が右のほうに映った。これは更に興味あるものだった。十三号客は、アンダーソンのように窓閾に肱をかけ、往来をのぞき出していた。背の高い痩せた男のように思われた―あるいは、もしかすると女かな?―すくなくとも、それは、ある種の布ぎれで頭部を包んでいる何者かで、ベッドへ行く前に、赤い笠をかけたランプを持って戻り、そのランプはひどく揺れているにちがいないらしかった。向うの塀の上には、鬱陶しげな赤い光が、上下にはっきり動いていた。アンダーソンは、もっとその人物を知りたいと思って、すこし首を伸ばした。だが、窓閾の上の、ある軽い、なんだか白い布地の襞のほかには、なにも見ることはできなかった。 そこへ、往来で、遠くから一つの足音がした。それが近かづいて来たのは、十三号室に、外からまる見えだということを、さとらせるためだったらしい。十三号室の人物は、窓から突然パッと離れた。そして赤い光は消えた。アンダーソンは、巻煙草をふかしていたのだが、吸殻を窓閾に置いて、ベッドへ行った。― 120 ―

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