畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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アーキトヴィス ているのだった。そのなかには、僧正がこの町で、住んでいたのではないが所有していた一軒の家について、多くの話が書かれていた。その借家人は、見かけはやや、矯正会に対して誹謗を放ったり、邪魔をしたりする人物らしかった。書翰によると、彼は町の恥であった。彼は秘密な邪悪な術をおこなった。悪魔に魂を売った。かような毒蛇とも吸血魔ともいうべき人物に、僧正が家を貸して保護するなんていうことは、羅馬教会の大きな腐敗迷妄も同感であった。僧正は大胆に、これらの非難に立ち向った。僧正はそのような秘法といったものは、自分もすべて唾棄するのだと断言した。そして非難する人々に、この問題を正規の法廷へ―無論、宗教上の法廷へ―持ち出して、徹底的に究明してもらおうと要求した。もしこの非公式に断定された罪悪のどれかでも、有罪だという証拠があるなら、僧正は、誰よりも、いちはやく進んで、ニコラス・フランケン博士(借家人の名)の罪悪を断じたにちがいなかった。 アンダーソンは、ついで新教派の長老ラスムス・ニールゼンの書翰に手をつけたが、ほんの一瞥する暇しかなかった。で、記録所がその日閉鎖される前、その大意だけを蒐集した。この大意は、キリスト教徒が、今はもはや羅馬の僧正達の決定によって、束縛されていなかったこと、そして、僧正の法廷は、そうした重大問題を裁断するような、適切な、権能ある裁判所ではなかったし、あり得なかった旨のものだった。 アンダーソンは、記録所を辞去した時、一人の老紳士といっしょになった。この老紳士は、記録所を主宰している人だったので、あるいて行くうちに話は自然、いまいった文書類に向けられた。 このヴァイボルグの記録保管人であるスカヴェニアス氏は、管理している記録類一般に関しては、なかなかよく知っていたが、改革時代〔十六世紀の宗教改革〕の記録には、専門家でなかった。で、その記録について、アンダーソンが語ったことには、いかにも興味をもった。彼は、アンダーソンが話した内容をまとめて、出版される日を、鶴首して待つと言った。 『例のフリース僧正が所有した家ですがね。』と、彼は言葉をつづけた。『その家が、どこに建っていたか、私には― 118 ―

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