畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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しんみ か 間違っているかどうか調べた。自分の部屋はその右なのか左なのか?彼はドアの番号を見た。それは第十三号室だった。 では、彼の部屋は左のはずである。果してそうだった。そこで彼はベッドにはいり、五六分、なじみの三四ページを読み、灯あ火りを消し、眠りに就こうと寝返りしたが、その時ふと、ホテルの黒板には、第十三号室なんてものは書いてなかったのに、今、たしかにその番号の部屋があったことを思い浮かべた。彼はむしろ、その部屋を自分の部屋にしなかったのは、残念だったと思った。その部屋を占領すれば、自分はこの旅館の主人に、ちょっと役に立ったかも知れないのだ。一個の素性正しいイギリス紳士が、三週間もその第十三号室に住み、しかもその部屋が大いに気に入ったという言い草を、主人に与えることができたかも知れないのだ。だが、その部屋は、たぶん下男部屋か、或はそうした種類の部屋として使われているのらしく、結局その部屋は、彼の部屋としては大きくもなく、いい部屋でもなさそうだった。 そうして彼は、街路の灯火で半ばあかるく、かなりに物腰のわかる自分の部屋を、ねむたげに見まわした。おかしな様子だと、彼は思った。部屋というものは、薄暗い光では、あかるい光の時よりも、たいていは大きく見える。だがこの時は、幅がせばまり、高さが不釣合いに伸びあがったように見えた。まあ、まあ!こんなとりとめもない妄想よりも、眠りが大事だ。―で、彼は眠りに落ちた。 到着の翌日、アンダーソンは、ヴァイボルグのリグサルキーフ寺を目ざして出かけた。彼は、デンマークでは例外ででもあるように、快く迎えられ、なんでも見たいと思うものへ近寄る許可を、容易に与えられた。 彼の前に並らべられた文書類は、まったく予期以上に、ずっと数も夥しく、しかも興味のあるものだった。公文書類のほかに、ヨエルゼン・フリース僧正の書翰一束があった。この人は僧正職に在った最後の羅馬教徒で、これらの書翰は、この人の私生活や個性を知る上に、はなはだおもしろい、且つ「親身な」詳叙とも呼ばるべきものを、収め― 117 ―

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