畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
115/172

ァイヤいけにえレースあみゆ . ンマーク教会史の研究に身を委ねていた。そしてヴァイボルグのリグサルキーフ寺には、あの火災からまぬがれて、デンマークに於けるカトリック教の最後の日に関する書類があることを知っていた。だから、彼はかなりな時日―たぶん二週間たっぷりか三週間を、そうした書類の調査と筆写に費やそうと思った。で、彼は、金獅子ホテルが、寝室にも研究室にも使えるような、適当な大きさの部屋を、提供してくれるようにと希望した。この希望を旅館の主人に話すと、主人はだいぶ考えた後、あなたが大きな部屋を一つ二つ検分して、御自分でおきめなさるが、なによりの方法でしょうと、ほのめかした。たしかにそれがいい思いつきらしかった。 最上階は、一日の仕事のあと、あまり多く階段をのぼることになるからというので、拒まれた。三階には、ほしいというほどの広さをもった部屋がなかった。しかし二階には、大きさという限りでは、結構註文通りのいい部屋が、二つ三つあった。 主人は、十七号室を、ひどくもちあげた。だが、アンダーソンは、その窓が隣りの建物の白壁ばかりに面していること、だから午後は部屋が暗くなることを指摘した。十二号室と十四号室は、どちらもずっとよかった。というのは、二つとも街路を見おろし、騒音のおまけが加わるにしても、輝やかな落日、美しい眺望は、それを償うて余りありだったから。 とうとう十二号室が選ばれた。その両側の隣室と同じに、この部屋は一方にばかり三つ窓がついていた。窓はずいぶん高く、幅も異常に広かった。壁フ炉プはなかったが、みごとな、やや古い、鋳物のストーヴがあって、その同じ側に、アブラハムがその子イサクを生贄にしている絵が懸けられ、絵の上方には、“書き入れられていた。ほかに部屋の中で、目だつものはなにもなかったが、この唯一の興味ある絵は、この町でつくられた古い色ずり版画で、時代は一八二〇年頃のもの。 夕食の時間が近かづいた。いつもの沐浴をして元気づいたアンダーソンは、階段を降りて行ったが、その時はまだ、I Bog Mose,Cap22”という題銘が― 115 ―

元のページ  ../index.html#115

このブックを見る