畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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か こわば かみ 二階で最後の探検をしようというのである。自分の部屋を見まわし、なにかまだ荷造りされないものが残っていやしまいかと調べる。と、そこで、油を塗った鍵(効果上々の!)をもって、あのドアを、もう一度、サッと開けサッと閉じてやろうというのだった。 筋書通り、やりおおせた。―勘定は払われ、貸馬車に荷物を積みこまれる間、なにかの、ちょっとした話が進んだ。『この地方は楽しい―実に愉快でした。御亭主さん、お内儀さん、ありがとう。いつかまたやって来たいです。』と、一方が言うと、一方では、『お気に召して嬉しいです。わたし達も、できるだけのことはしたつもりです。いつまでもお言葉は忘れません。ほんとにお天気つづきで結構でした。』と言う。それから、『僕はちょっと二階を見て来ますよ。本かなんか、落したかも知れませんからね。いや、御心配には及びません。すぐ戻って来ますから。』―そして、できるだけ静かに、トムソンは、例のドアに忍び寄り、それを開いた。 幻滅!彼はすっかり声高かに笑い出した。つっ張っている―いや坐っているといってもいいが、ベッドの端には、なんと、一つの案山子が置いてあるだけのことだった! 無論、菜園から、この無人の部屋に投げこまれた案山子・・・・そうだ。だが、ここで、おかしさは止んだ。案山子が、はだしの骨張った足を持てるか?案山子の首が、肩へダラリと垂れるか?案山子が頸のまわりに鉄の輪、鎖のつなぎ目を持てるか?案山子は、たとえひどく強直ったものでないにしても、起きあがり、動き、揺れる首や、両脇に手をつけて、床ゆを横切ることができるか?そして身震いすることができるか? ドアをバタン、階段口へまっしぐら、階段の一足飛び、つづいて失神。―トムソンは息を吹きかえすと、ベッツが、ブランデーの瓶をもって、上からこごむように立っていた。ベッツの顔には、非難の色がみなぎっていた。『あんなことをしちゃいかんです。ほんとうに、いかんです。十分なことをしてあげようとした人間に、こんなことをするなんて、いいやり方ではありませんよ。』―こんな言葉をトムソンは聞いた。だが、どう答えたか覚えはなかった。この宿― 109 ―

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