畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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めじるしマーケット・デイよかったよ。ありゃあ、縁喜のいい目標ではないって、いつも年寄り達が言っていたよ。縁喜のよくないってのは、漁にかけていうことなんですがね。』『どうして、縁喜が悪いのです?』と、トムソンがきくと、彼は答えて、『ええ、わたしだって、その目標を見たことはないんだが、年寄り達は、わたしがいったような変な考えを持っていましたよ。ことさら、年をとった奴等はね。で、わたしは、あれをたたきつぶしたのは、奴等にちがいないって、思うんでさあ。』 これ以上わかる話の種は、得られそうもなかった。この連中はあまり口軽るでないので、黙りこんだ。それから、誰かが村の財政や収穫について話し出した。ベッツが音頭取りだった。 トムソンが、健康上、田舎道を散歩したのは、毎日ではなかった。ある晴れた日の午後三時、彼は忙しく書きものをしていたが、やがて彼は伸びをして立ちあがり、部屋から廊下へ出た。向うに一つ部屋があり、そのさきに階段の上り口、またそのさきに、一つは裏へのぞき出し、一つは南へのぞき出す、二つの部屋があった。廊下の南の端には、窓があった。そこへ彼は、こんないい午後を無駄にするなんて、不都合だと考えながら、あるいて行った。だが、ちょうどその時は、仕事が最好調だった時なので、彼は五分だけ気をぬいて、部屋へ帰ろうと思った。そしてこの五分を―ベッツ夫婦はべつにとめやしない―今までのぞいたこともない、廊下の部屋々々を見ることにあてようと思った。家にはまったく誰もいないらしかった。その日は市日だったので、酒場に女中でも残っているほかは、みんな町へ出かけたらしかった。家はほんとにシーンとしていた。さしこむ日光は実に暑かった。蠅の子が窓硝子の中で、ブンブン唸っていた。そこでトムソンは探検にとりかかった。真正面の部屋は、聖エドマンド〔東アングリア王。八七〇年デーン人に擒われ、基督徒の信仰を棄てざりしため斬首さる。〕の古ぼけた版画がかけてあるほかは、かわったこともなかった。廊下の、一方にあって隣っている二つの部屋は、美しくきれいだった。彼の部屋には窓が二つあったが、ここはどっちも一つだった。そのあとの部屋と反対側の、のこりの西南の部屋へ、彼は入って行った。この部屋は、鍵がおろされていたのだが、トムソンは、まったく、むやみな好奇心に駆られて、こんなわけなくもぐり込める場所― 106 ―

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