畑耕一翻訳 M・R・ジェイムズ怪談集
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ピラーヒース シー・マークシー・マーク トムソンは、毎日を、静かに無事にすごした。午前中は勉強し、午後は、あたりをひとまわりし、夜は、田舎の連中や宿の人たちと、しばらく話をし、水を割ったブランデーといった、その頃流行の飲みものをのみ、ちょっとばかり読書や書きものをして、それから床に就くのだった。で、トムソンは、これが一箇月中思うままに続いたら、満足だったはずである。仕事ははかどったし、その年の四月は、すばらしい天気だった。―この天気は信用していい理由がある。オルランド・ホイッスルクラフトの天候年表には、その年を“心楽しき年”として、記入しているからである。 トムソンが散歩する道の一つは、北に通ずる道で、高く、沼地と呼ばれたひろい公有地を突っ切っていた。トムソンは、ある輝やかな午後、はじめてこの方向に足を向けたのであるが、ふと、道の左手、五六百ヤードかなたに、なにか白い物体を見かけた。なんだろうか知りたいと思った。すぐそばへ近かづくと、それはなんだか角柱の土台らしくもある、まっ四角な白い石の一塊で、上方にもまっ四角な穴があいていた。ちょうど今日でも、セットフォード沼地で、見かけるようなああした石である。それを調べたあと、トムソンは二三分、あたりの景色を眺めた。一つ二つ教会の塔が見え、五つ六つの赤屋根のコッテージや、太陽の光線で、ピカピカする窓も見え、また、おりおり光る海のひろがりも見えた。―で、トムソンは、足を進めた。 その晩、宿の酒場での雑談にまぎれて、トムソンは、どうしてあの白い石が、あの公有地にあるのか、きいてみた。 『古風なしろものでね。あれがあすこに置かれた時代にゃ、わたし達はみんなまだ生れていなかったんですよ。』と、ベッツという宿の亭主が言った。『ほんとに、そうですよ。』と、そこにいる男もいった。『ちょっと小高いところにあるが、あの上にはむかし航海標が、たててあったのかも知れませんな。』と、トムソンが言うと、ベッツはうなずいて、『ああ。きっとそうですよ。航海標が船から見えたとは、聞いたことがありますからね。だが、どんなものだって、あすこにありゃあ、長い間にや、朽ちっちまいますよ。』と、いった。すると、またほかの男が口を出して、『朽ちて― 105 ―

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